2010年2月18日木曜日

俺たちも勝つ・・・。

野球が大好きだった少年がまだ幼い頃



父と夕暮れ時の公園で日が暮れるまでキャッチボール・・・。



なんて、想い出は



残念ながら・・・ない。



もっぱらキャッチボールの相手は家の前にある石の壁。


もちろん真っすぐボールが返ってくる事も

「いいぞ!ナイスボール!」

なんて声もない。

しかし、野球をしている時が最高に楽しかった少年にとって

それは十分満足のいくものであり

そしてそれは何も変わらない日常の光景でもあった。




そんな少年は父との数少ない想い出の中で

今でも忘れられない想い出があった。



それは 「広島市民球場・・・。」


今と違ってファンはライトスタンドで盛り上がるというよりも

センタースタンドで盛り上がっていた当時。

少年の目に飛び込んできたもの・・・。


法被姿で誇らしげにトランペットを掲げる大人達

扇子を振り回す白い鬼

紙コップの底を破りメガホン代わりにする赤い顔の大人


そして カクテル光線に照らされる真っ赤な「8」


少年はそれらの光景を目で追い 杓文字を打ち鳴らした。

そこにある全てが新鮮で全てが初めて。

そこはまさに夢の空間「ボールパーク」だった。



しかし、広島市民球場で試合がある時

その少年の父は必ず仕事だった・・・。

だから野球観戦ももっぱら少年一人。

しかし、周りの大人たちはそんな少年を暖かく助けてくれた。


カープうどんやジュース、アイスクリーム・・・。

何でもその少年に買ってくれた。


今、思えばそれは少年の父が仕込んだせめてもの償いだったのかもしれない。


そんな少年はやがて大きくなり

父というよりも友人達とその場所へ通うようになった。


あの時見た大きな背中の「8」番がバットを置いた時も

休む事なくグラウンドに立ち続けた「3」番がユニフォームを脱ぐ時も



「88」番が広島で一番きれいな夜空に舞った時も


大人になった少年は


あの時の様に想い出の場所でその瞬間を見届けた。



そして・・・あれから何十年も時が流れた・・・。






その想い出の場所が取り壊されることになるらしい・・・。


この早い時代変遷。

使用価値の薄れた物を維持する事の難しさ。

いろんな事情が交錯する中において

それは仕方がない事・・・。


だと・・・思う・・・。



たぶん・・・。



広島市民球場で聞こえていた‘ヤジ’の数々。

選手達も良く聞こえていたらしい。


しかし、あの狭い「広島市民球場」よりも

今の「新広島市民球場」の方が

より‘ヤジ’が聞こえるらしい。



ある知り合いの野球人はこんな事を言っていた・・・。


「僕はカープやカープファンはあまり好きではない。
 でも、このチーム、このメンバーは大好きだ。
 だからグランドでみんなと一緒にビール掛けがしたい!」


・・・と。



腹がたつ事もあるだろう。

もどかしい時もあるだろう。


でも、今シーズンはとことん応援してみることにする。



前よりも良く見えるようになったスタンドから


グランドのビール掛けを見る為に・・・。


あの想い出の地では二度と見られないのだから・・・。



「俺たちも勝つ」である。






 

2010年2月15日月曜日

カリスマ・・・。

トップを目指すチームには必ずラッキーボーイが存在するらしい。

その昔、カープがまだ常勝軍団と呼ばれていた頃

それは背番号0番を日本で最初に付けた長嶋清幸だったり

広島工からカープへ入団した小林誠二だったり

もちろん背番号17番の山根 28番の西田 9番の長内などもその類いである。


そして、もう一つ優勝する為に重要な事。

それは〝カリスマ〟の存在である。


自分の中での〝カリスマ〟は高橋慶彦である。

それは幼少の頃から今までずっと変わっていない。

これには 自信がある・・・。

高橋慶彦は遊撃手として圧倒的な存在感を示し、選手個人のみならず

首脳陣・ファンを虜にした。

そして、2010年。

高橋慶彦が死守していた遊撃手のポジション争いが熱を帯びている。

名球会選手 石井琢朗

野球エリート 小窪哲也

新人王 梵英心

この三つ巴の戦いを本当に制する者が現れた時

それは新たなる〝カリスマ〟の誕生である。


ショートには〝夢〟がある。

ショートには〝華〟がある。

そして・・・。

ショートには〝カリスマ〟がいる。

 
泥だらけになりながら〝夢〟を掴む者の誕生を心待ちにしてやまない。



言わずと知れた山本浩二、衣笠祥雄は別格である。